としごと・しごとと

端午の節句に鯉のぼりが掲げられる由来・ルーツは江戸時代

明日は子供の日で、端午の節句とも呼ばれますね~。

実はりーちゃんに素朴な疑問を頂きまして・・・

そういえば「鯉のぼり」を端午の節句に飾る理由、知らないなと気が付きました。

よし、調べてみよう!!!

Wikipediaより引用

端午の節句には厄払いに菖蒲を用いることから、別名「菖蒲の節句」と呼ばれ、武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となった。 この日武士の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に、玄関には旗指物(のぼり)を飾り、家長が子供達に訓示を垂れた。

※尚武とは、武道・武勇を重んじること。

 

江戸時代、商人は大きな経済力がありながらも武士の方が立場が強かったので、武士に対抗した商人が華やかな武具の模造品を作って飾るようになりました。

そしてのぼりの代わりに五色の吹き流しを飾るようにしたのです。

ちなみにこの五色には意味があり、青色は木・赤色は火・黄色は土・白色は金・黒色は水で、五色の吹き流しには魔除け役目があるのだそうです。

しかし時代の変化とともに吹き流しの五色の色も変わってきました。

 

やがて商人は「吹き流しだけじゃ地味じゃない?」と思ったのか定かではありませんが、黒い鯉(真鯉)を飾るようになりました。

なぜ鯉だったのか。それは・・・

Wikipediaより引用

中国の正史、後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜になることができたことにちなんで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。栄達するための難関を「登竜門」と呼ぶのも、この故事にもとづく。

つまり子供の成長と立身出世を願って、鯉を大空に掲げて泳がせたわけですね。

なるほど~!中国から来たんですね。

ちなみにこれは最初は関東だけの風習でしたが、後に全国に広がったそうです。

 

その後、真鯉だけでなく緋鯉が追加され、さらに子鯉、子供が2人になったら子鯉を追加していき、今の「鯉のぼり」の形が出来上がったようです。

全然知らなかったぁ!!調べて良かったです。

なんか歯ブラシみたいなシステムだよね。色違いがだんだん増えていく感じが…。

武士の家の跡取り問題は切実ですからね。

端午の節句は男の子の健やかな成長・立身出世・さらに子孫繁栄を願って行われるわけですね。

ほほう・・・、なかなか重いなww

 

※ザッとまとめたものであり、諸説ありますので、気軽にお読みくださいませ~。

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